自分、うつ状態なので

うつ状態なので、思ったことを滔々と書いていきます。

ニコ没の精神で

90歳を超えた祖父の誕生日が近いので、週末に誕生日プレゼントを買いに行くことになりました。ついでに食事も。

この年まで生きてるなんて凄い!誕生日だ、めでたい!と言う気持ちも勿論あるのですが、ふとここで、成田悠輔さんのスピーチを思い出しました。

成田悠輔氏「ニコニコ笑いながら没落しよう」令和4年度バンタン卒業式 祝辞スピーチ【完全版】|2023年3月 - YouTube

生まれた時から死ぬことが決まっているこの人生の中で、長生きの何が素晴らしくてめでたいのかなと。

私は自分が今休職中であることを、母と弟以外には話せていません。
そもそもどうして、働かなくては生きていけなかったり、世間体として結婚が良かったりするのでしょうか。

何が楽しくて、働いたり生きたりしないといけないんでしょうか。
死にたくないからでしょうか……。

決してネガティブになっているわけではなく、素直にそう思います。

祖父母も10年後には生きていないでしょうし、両親も定年間近になってきました。
明るそうなイベントは今の所なさそうです。

世の中にはたくさんの娯楽に満ちていて、素晴らしい作り手の方のおかげで私も楽しさを味わうことができています。
でも、別に生きていて素晴らしいとか、何がどうしてめでたいとか、そう言うのはないような気がします。

ニコニコしながらこのまま没落、というか衰退して、お金が尽きたら生活保護を頼ればそれでいいじゃないかと。
なぜか働きたい人がいて、経済を回してくれる人がいて、私みたいなのはそう言う素晴らしい人たちの恩恵を、おこぼれにあずかって生きていけばいいじゃないかと。

それで生きられないなら、しょうがないんじゃないかなと、思うわけです。

 

決して祝いたくないわけではなくて、今の自分の状況や遠くない未来での祖父母の死を考えてしまうと、なぜかこう言う方向になってしまう……。

車のキズ

家の庭に置いてある自転車が倒れて、隣に停めてあった車にぶつかって、車に傷がつきました。
今日は風強いですね~。

ま、まぁ車なんてただの移動用のツールなので別に気にしてないですけど。
というのは嘘でとても気になりますけど……。

もっと強風が多い地域にお住いの皆さんは、何か対策してるんですかね。
Amazonで検索すると2,000円ほどの自転車スタンドが売っていたので、そういうアイテムがあれば少しは安心できそうです。

とは言え付いてしまった傷はどうにも……。
どの道このレベルの傷でいちいち修理するお金はないので、これを忘れられるか、もしくはちょっとした思い出に変えられるかどうかが試されてる気がしますね。

「世の中のことはすべて心の持ちようひとつでどうにでもなる」
新しいお札の顔となる渋沢栄一さんのお言葉だそうです。

どう頑張っても傷自体がポジティブに変換されることはないですが、この言葉に出会えたきっかけとして覚えておきたいと思います。

まったり読書タイム

今日は月初から読んでいる下記自己啓発本の読み進めをしておりました。

amzn.asia

特に私に足りない傾聴力や質問力について、この本は実践しやすくわかりやすいアドバイスをくれました。
今まで私がどれだけ不遜な態度で人の話を聞いていたか、どれだけ自分が正しいというバイアスによって他人の意見の本質から外れてきていたかをこれまでかというくらい叩きつけてくれました。

正しい言語化・アウトプットはこれから生きていく上で、コミュニケーションの上で大切な技術だと思います。

また、これまで自身が行ってたチームマネジメントには、幻想の社会的安全性があっただけで、本当の意味でのコミュニケーションは取れていなかったとも思わされました。
相手の真意を引き出す聞き方や質問もできず、言葉の意味も正しく理解していないまま続ける会議に何の意味があったのか。今思えば、そこにはゴールのない自己満足の世界だけがあったようにも感じます。

目先のボキャブラリーに気を取られ、言葉の本質やコミュニケーション上での相手を軽視する態度は改めなければならない。
そして、どんな人と接する時にも細心の注意と最大の敬意を払い、些細なメッセージも聞き逃さない姿勢がお互いの幸せにつながると。そう学びました。

職務経歴書の長所欄に「顕在ニーズならず、潜在ニーズを引き出す傾聴力・ファシリテーション力がある」みたいな世迷いごとを書いていた自分を恥じ、その言葉に見合うだけの知識・姿勢・経験を積んで参りたいと思います。

読了まで1ヶ月ほどかけてしまいましたが、読みやすくとても良い本でした。感謝。

 

 

うつ状態の原因探し

私はZ世代ではないのですが下記動画にめちゃくちゃ共感しました。

www.youtube.com

うつ状態になるまでは、毎年社長が掲げていた挑戦的な標語や人事評価制度の変化、それからテレワークの導入などの新しい風に乗って「俺がこの会社を変えてやる!」と意気込んでいた時期がありました。
残業時間も80時間に迫ったり、朝から晩まで1つのプロジェクトに集中してやりがいを感じていました。

ただ、とあるグループのチームリーダーとして数年やってきたところで限界を感じ、燃え尽きてしまった。
「俺が何を言っても、何も変わらない。管理職からも10年我慢しろと言われてしまった。」
ここがうつ状態に至った一つの原因なんじゃないかと思っています。

上記動画ではそれをわかりやすく図説してくれていて、私が感じたこと、会社に感じていたことを言語化してくれました。(納得したところで、私の現状は逃げの一手でしかないのかもしれませんが……。)

 

事実として間違いないことは、私の会社では挑戦を謳っていても実施する空気がないこと。ほとんど逃げ切り世代で構築されていて、変化を嫌っていること。そして私の仲間がいないこと。あとはテレワークがなくなって強制出社になったこと。

でも、もう一回は挑戦してみたいです。
復職して、意見具申して、理論とデータを準備して。今居る会社が未来も反映できると信じて、もう一度だけ戦ってみたいと思っています。

それでも駄目だと感じたら、自分の選択に後悔したら、新しい道に全力で舵を切りたいです。

共依存が先か、家庭不和が先か

鶏と卵みたいな話ですが、私の家の話です。

共依存と家庭不和って関連性があるなと、うつ状態となって私の自立性が損なわれてから感じるようになりました。

自由奔放な父と、生真面目な母。それと気遣いやで引きこもりの弟。
何度か離婚の話題があがり、その度に保留を繰り返してきている我が実家ですが、
最近は安定期に入ったようにも見えます。

これまでは「何かがあっても私は一人で生きていけるから」と余裕から中立の姿勢をとっていた自分なのですが、働けなくなったことで家族の問題に敏感になりつつあります。

 

さて、前段が長くなってしまいましたが私の家ではどちらが先だったのでしょうか。

そも夫婦とは、最も近しい他人同士が互いの妥協点でバランスを取って成り立っていると、私はそう思います。
私は結婚したことはありませんし、両親を見る限り誰かと結婚することはないと思うのですが……それはさておき。

そして、一方に負担が偏ったり、なんらかの要因でバランスが崩れた時に家庭が機能しなくなってしまう。
ご飯を各々で作るようになったり、必要以上の会話がなくなったり、たまには喧嘩してみたりと。

私の見解では、家庭不和をなんとかするために母親が共依存的行動をとったのが始まりなのかなぁと。
父親が育児や家庭教育に協力している様子は昔から見たことがなかったもので、恐らくですが。

 

でも、いざ離婚となると難しいですよね。現状として金銭的な面で家庭を支えているのは父親な訳で、
離婚したら働くと言っている母も弟も現実的に父親と同じ水準で稼ぐ難しさはわかっているはずだと思います。

私はいざ両親離婚となったら一人で生きていこうかと考えていたんですが、今の状況ではなんとも言えなくなってしまったので……。
悩んだ末の結論としては、今は家庭内でもできることをしつつ復職に向けて一歩ずつ前進あるのみ!ですね。

 

いつもより小さい歩幅で

散歩をしてきました。

多分、私の場合歩くスピードはその時の気分を表しているので、
今日はテンションが低かったか、もしくはゆっくりしたかったか。
午前中はまぁまぁ暖かく風も弱かったので、後者だったと思います。

最近は寒い日も多いですが、4月には職場復帰をしたいので体力をつけるためにも散歩は欠かせない……!

そして、今日は午前中に図書館に行くこともでき上々の滑り出しだったのですが、
午後はすっかり布団に潜って今も横になりながらこうして記事を書いています。
違うんです、寒いのが悪いんです。

午前中に活動ができたことで今日は良しとして、午後は読書に興じたいと思います。

「できなさそう」と「できない」

うつ状態になってから、どっちも増えていきました。

言葉の使い方が気になったので、試しにBard(AI)に聞いてみたところ、両者の違いは「主観的な可能性」と「客観的な可能性」の違いではないかと。
文語表現的には確かになぁと納得しつつ、今日私が思ったのはそういう話じゃなくて……。

たぶん、私の場合は仕事ができなくなって今(休業)に至る前に、この「できなさそう」の状態が結構あったんだと、思いました。

眠れなくなって、だんだん午前中の集中力がなくなって、ぼーっとする時間が増えて。
今までできていた仕事量や仕事内容が、1日の中で「できなさそう」になって。
そして、最終的に「できない」になってしまったのかなぁと。

ということは、ということはですよ?
逆に考えれば、「できそう」が増えれば、「できる」が増えるんじゃないかと。

「できない」→「できなさそう」→「できそう」→「できる」
みたいな感じで、移動してけばいいじゃん!って。

こうして書いてみると凄く当たり前なこと言ってるだけなんですけど、ポジティブな考え方をしている自分が嬉しくて、小躍りしそうだったので、今日はできそうな部屋の片付けをやってきます。